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Channel: TAP the STORY – TAP the POP
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ジャズ・フュージョン路線からラテンロックに戻って返り咲いたカルロス・サンタナ

1975年、カルロス・サンタナはセールス不振に頭を悩ませていた。 1stアルバム『サンタナ』でデビューしたのは1969年。それがいきなり全米4位となると、続く2ndアルバム『天の守護神』、3rdアルバム『サンタナⅢ』が立て続けに全米チャート1位を獲得。サンタナはロックシーンにラテンという新たな風を吹かせるとともに、連続1位という快挙をいとも簡単に成し遂げてみせた。...

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阿久悠の27歳~僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです

僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです。ビートルズの出現で60年代半ばにエレキギターの楽器革命が起こりました。それまで楽器はプロでなければ扱えなかったのが、エレキブームでギターが普及して誰でも扱えるようになった。 やがてGS(グループサウンズ)の一大旋風が起こると、彼らの曲作りに参加するかたちで、フリーランスの作詞家や作曲家が続々と参入してきました。 (『阿久悠...

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レディー・ガガ27歳〜世界で最も稼ぐ二十代となった彼女が経験した裏切りと、シアトリカルな創造力

2013年、レディー・ガガは27歳にしてアルバム『ARTPOP』で新境地を切り拓いた。アルバムのリリースイベントをニューヨークのブルックリン海軍工廠(Brooklyn Navy Yard)で開催し、ガガはその圧倒的なパフォーマンスで観客とマスコミ関係者を驚愕させた。 混ざり合うことで色々なことに堪えることができるのよ 私の心は煉瓦や紐とともに鼓動する 私のアートポップはどんな意味にもなるのよ...

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私たちは手をとりあって、よくわからない〈テレビ〉という暗闇の中を進んでいった黒柳徹子~

黒柳徹子には小学校の時からなりたいものがいろいろあった。バレリーナ、幼稚園の保母さん、従軍看護婦、スパイ、競馬の騎手。だが、香蘭女学校を卒業後にはオペラ歌手になると、きちんと目標をさだめて東洋音楽大学声楽科へ入学した。 東京音楽学校でバイオリンとクラシック音楽を学んだ父の黒柳守綱は、昭和12年から5年間に渡って新交響楽団のコンサートマスターを務めたが、戦争のためにシベリア抑留を余儀なくされた。...

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唄を忘れたかなりやだった27歳の西條八十は、忘れた唄を思ひだして詩人となった

地主の息子で石鹸製造業や販売でも財を成した父親が亡くなったとき、西條家の全財産を相続したのは早稲田中学に通う学生だった17歳の西條八十だった。三男だったにもかかわらず家督相続人に任命されたのは、長男がまったく信用のおけない道楽息子であったからだ。...

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かつての栄光の歌手という道が始まった~坂本九の27歳

エルヴィス・プレスリーに憧れてロックンロールに目覚めた坂本九が、バンドボーイを振り出しに米軍キャンプやジャズ喫茶でのライブで経験を積み、「日劇ウェスタンカーニバル」の舞台に立ったのは1958年の夏のことだ。 そのとき坂本は18歳で、歌ったのはリトル・リチャードのカヴァー曲だった「センド・ミー・サム・ラヴィン」。...

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レスポールとレス・ポール~ある偉大なギタリストの軌跡~

1952年に発売されたギブソン社にとって初となるソリッドボディ(中が空洞になっていない)のエレキギター、ギブソン・レスポール。 ジミー・ペイジやデュアン・オールマン、スラッシュ、ザック・ワイルドなど数多くのギタリストに愛用され、ストラトキャスターと並んでロック・シーンを彩ってきたロック界を代表するギターの一つだ。...

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マーク・ノップラー(ダイアー・ストレイツ)〜寂れたパブで見る夢

僕はいつだって、困難な状況の中で自分を表現する方法を見つけられる人に惹かれてきた 1977年前半、27歳のマーク・ノップラーは彼自身もその方法を見つけようともがいていた。もちろん彼にとっての表現は音楽だが、それをもっと多くの人々の耳に届けたかったのだ。...

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エルヴィス・プレスリー27歳~決定的なものが失われたことによってなしくずしに始まった雲上人伝説

エルヴィス・プレスリーは陸軍に徴兵された1958年3月24日から2年間、実質的に音楽活動が出来ない期間を過ごしている。 そして除隊した後は以前の生活に戻ることが出来たのだったが、その間に実は決定的なものが失われてしまった。最愛の母のグラディスが病に倒れて、1958年8月14日に亡くなったのである。まだ46歳、あまりにも早すぎる死だった。...

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ロバート・ジョンソン〜満たされない野望

1938年初め、ロバート・ジョンソンはニューヨークの摩天楼をその足元から見上げていた。深南部のミシシッピ州に生まれ育った、もうすぐ27歳の黒人の若者はその光景に圧倒されただろう。だが、心の中には大きな野望もあったはず。この街でも有名になってやるんだ、と。...

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27歳で引退を決めて日本を離れようと考えていた藤圭子〈前編〉~「ポリープを切ることで私の歌の命まで切ることになった」

1969年9月に「新宿の女」でデビューした藤圭子は、演歌で日本語のブルースとロックを体現していたシンガーだった。 ファースト・アルバム『新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて』は1970年3月に発売されると、まもなくオリコンのアルバムチャートで1位を記録した。...

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27歳で引退を決めて日本を離れようと考えていた藤圭子〈後編〉~ 「あたし、嘘つくのいやだったんだ」

1979年の10月、作家の沢木耕太郎は、翌年から朝日新聞に連載するノンフィクションを執筆するため、伊豆の山奥の温泉宿に長期滞在していた。 そんなある日、執筆に疲れて部屋のテレビをつけると、「藤圭子引退!」のニュースが大きく取り上げられた。 それに強い衝撃を受けた沢木は即座に山を降りて、藤圭子に連絡を取ってインタビューをさせてもらう約束を取りつける。...

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僕は「怒れる若者」だったことなんかない~エルヴィス・コステロの27歳~

パンクムーブメント真っ只中の1977年にイギリスでデビューし、辛辣な歌詞とステージやインタビューでの振る舞いから「怒れる若者」と呼ばれた若き日のエルヴィス・コステロ。 だが当人はこのレッテルを心良くは思っていなかった。 僕は「怒れる若者」だったことなんかない。「怒れる老人」なんだ。いつだって実際より老けてる気分だったし、老けて見られた。今だってマジでムカつくことはあるよ… (1983年...

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エルヴィス・コステロ──美しいバラッドの奥で燃える、静かなる怒り

ロンドンに生まれたエルヴィス・コステロだが、ルーツはアイルランドにあった。 父親のロス・マクナマスはアイルランド移民で、ジョー・ロスの楽団でシンガー/トランぺッターとして活動していた。ちなみに芸名の“コステロ”は、父方の祖母の旧姓に由来しているという。...

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血の故郷から学んだ抵抗の歌

「俺の身体の中には、一滴たりともイングランドの血は流れてない」 かつてオアシスで弟のリアムとともに90年代のロックシーンを牽引してきたノエル・ギャラガーは、自身についてこう語っている。 2人が生まれ育ったのは、イギリス北西部に位置する工業都市マンチェスターだが、両親はともに移住してきたアイルランド人だった。...

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ノエル・ギャラガーの27歳~『オアシス』大ヒット直後の脱退騒動

1994年の9月下旬、オアシスは母国イギリスを離れ、初の全米ツアーでアメリカ中を回っていた。 デビュー・アルバム『オアシス』(原題: Definitely...

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レミー・キルミスター27歳〜初めて踏んだアメリカの地、L.Aのホテルで書いた楽曲“モーターヘッド”

ヘヴィメタル界の重鎮モーターヘッドのボーカル&ベースを担当し、HR/HMシーンにおけるカリスマ的存在だったレミー・キルミスター。 1945年、彼はイギリスのスタフォードシア州ストークオントレントで生まれ、ウェールズのアングルシー島で育った。 少年時代からライヴ通いし、駆け出し時代のザ・ビートルズのステージを実体験している。...

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ヴァン・モリソン〜奇蹟を起こす人

スタジオは奇蹟を起こすための場所なんだ。だから、それが出来ないときは行かない。 こう語るヴァン・モリソンの言葉に、若い頃ひどく感銘を受けた。...

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ジョニー・キャッシュ〜とんだところでキースとばったり

ロック、カントリー、ソングライター、ゴスペル。4つの部門での殿堂入りを果たした歌手は、ジョニー・キャッシュをおいて他に誰もいない。 1992年1月、ロックン・ロールの殿堂入りを祝う集いが開かれたニューヨークのホテル「ウォルドルフ・アストリア」には、ニール・ヤング、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ジョン・フォガティ、ロビー・ロバートソンなど、多くの有名ミュージシャンが詰めかけていた。...

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死ぬところを見るために人を撃った

生まれ故郷であるアーカンソー州ダイエスに職もなく、歌で身をたてようと心に決めたところで兵役にとられた。1950年7月、おりしも朝鮮戦争で緊迫する冷戦の只中に空軍に徴用され、ジョニー・キャッシュは通信兵としてドイツに送られる。 やりきれない日々だったのだろう。「まるで性分に合わない4年」と自伝にもある。...

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