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Channel: TAP the STORY – TAP the POP
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三面記事から生まれた不朽のスタンダード

カントリーとは、「馬を下りたカウボーイたちの唄」であるというザックリした言い方がある。 アメリカ西部に鉄道の槌音が響く頃、働き口を失ったカウボーイたちの中で、喉に覚えのある男たちが歌を作り、カントリーの歌い手になった。 荒れ果てた平原に牛を追う辛い暮らしの中で好まれたのは、センチメンタルでデリケートな男の心情と、そして実際にあった殺人事件や犯罪を歌った事件だった。つまり、歌で伝える「瓦版」である。...

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ジョニー&ジューン夫妻〜ふたりを繋いだ、燃える火の輪

「俺と結婚してくれ。今、返事をしてくれないとこれ以上歌えない」 1968年、カナダ・オンタリオ州でのツアー真っ最中の出来事だった。舞台上のジョニー・キャッシュは、少年時代からの憧れでもあり、今まさに共演中のジューン・カーターに突然プロポーズを始めた。多くの観衆が見つめる前で──。 アメリカン・ミュージックのカリスマが誇る数々の伝説の中でも、もっとも有名なエピソードである。...

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1973年、大切な曲

1973年。いわゆるビートルズの「赤盤」「青盤」と呼ばれるベスト盤が発売された年。ジョニー・キャッシュの長女であり、その後何度もグラミー賞を獲得することになるロザンヌ・キャッシュは、高校を卒業したばかりの18歳。父のツアーに同行し、バスの旅の途中だった。 「当時の私といったら、まわりの子たちと同じように、ビートルズや西海岸のサウンドに惹かれていたの」 と、ロザンヌは語っている。...

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ジョニーキャッシュが働く男たちの歌でつづったフロンティアの物語

ジョニー・キャッシュには、後に三部作と称されるコンセプト・アルバムがある。 南部の黒人をテーマとした『ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ Blood, Sweat and Tears』(1963年)、アメリカインディアンの悲哀を描いた『ビター・ティアーズ Bitter Tears: Ballads of the American...

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ボノ(U2)〜お辞儀とエミューで結ばれた深い絆

「お辞儀っていうのを知ってるかい?」 ジョニー・キャッシュが、ナッシュビルの自宅にU2を初めて招き入れたとき、彼はボノにそう訊いた。 そして、二人は腰を折って挨拶を交わし合った。うやうやしい出迎えのあと、キャッシュはボノとベース・ギターのアダム・クレイトンに眼をやり、「こんな時、アレ(Drug)があったらなあ」とニヤと頬をゆるめた。...

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70歳を過ぎた男が痛みとともにその人生を振り返る時

俺は今日、自分を傷つけた まだ感覚があるか知るために 痛みに神経を集中すると その痛みだけがリアルだった 古傷の上を 釘で何度もえぐり すべてを消し去ろうとするのだが 俺はすべてを思い出してしまうのだ ビデオの映像は老いたジョニー・キャッシュを映し出す。...

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ジョニー・キャッシュ〜エルヴィスに嫉妬?

ジョニー・キャッシュが新妻ヴィヴィアンを伴ってメンフィスに引っ越してきたのは1954年のこと。その街では既にエルヴィス・プレスリーが大評判になっていた。...

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ジョニー・キャッシュ〜“本物”を伝え続けた奇跡のTVショー

奇跡の音楽番組『ジョニー・キャッシュ・ショー』 「俺はここ以外で、やらないよ」 ジョニー・キャッシュは自身の名前がつけられたTVショーの収録会場について話し合っている時、キー局のお偉方にそう言い放った。“ここ”とは、ナッシュビルのライマン公会堂。『グランド・オール・オプリー』の本拠地であり、“カントリー・ミュージックの聖地”と言ってもいい場所だった。...

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ジミ・ヘンドリックスの27歳~苦悶の日々を超えて辿り着いた新たな時代

1969年11月27日に、27歳の誕生日を迎えたジミ・ヘンドリックス。この頃のジミの音楽活動は決して順風満帆といえるものではなかった。 6月にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを解散したのち、6人編成のバンド、ジプシー・サンズ&レインボウズを結成するも、目立った活動はウッドストック・フェスティバルへの出演だけですぐに解散。...

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キース・リチャーズとグラム・パーソンズ〜涙の川を渡った男たちの心の風景

キース・リチャーズにカントリーの真髄を伝承したグラム・パーソンズ 発掘中だった音楽の鉱脈を掘り当てた。グラムとの出逢いが自分の弾くもの、書くものの領域を広げてくれたんだ。そこから束の間の友情が始まった。長い間行方知らずだった弟と再会したような感じだった。今でも寂しくてたまらない。...

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ブルース・スプリングスティーン〜禁じられた日々

1975年8月に発表されたブルース・スプリングスティーンの3作目『Born To Run』は、センセーションを巻き起こす。 だが、その成功の喜びも長くは続かなかった。マネージャーのマイク・アペルとの関係がこじれていたのだ。アペルは『Born To Run』の共同プロデューサー、ジョン・ランダウの影響力を好ましく思っていなかった。...

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アメリカに伝わる究極の哀歌

1929年に始まった世界恐慌の影響による不況の真っ只中で、アメリカ南部のプア・ホワイトの家に生まれ育ったジョニー・キャッシュにとって、「ハード・タイムス(Hard Times Comes Again No More)」で歌われている世界は現実そのものだった。...

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クリス・クリストファーソン〜デビューするために“空から売り込み”をした男

クリス・クリストファーソンとジョニー・キャッシュ ある日、自宅で昼寝をしていると、ジューンが叫んだ。『ヘリコプターが庭におりてくるわ!』 外に出ると、クリスがヘリコプターから出て来て僕に言ったんだ。『どうしてもこの曲を渡したかった』って。...

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ジャニス・ジョプリンがクリス・クリストファーソンから受け継いだ「自由」の歌

クリス・クリストファーソンは父が空軍の元将軍で、自分もオックスフォード大学を卒業後、西ドイツで空軍のパイロットとして従軍した。 そして退役後には就職したのだが、すぐに仕事を辞めることを決意する。念願だった音楽の道に進んで、ソングライターをめざすためである。 しかし、29歳で幼い子供を持つ父親のクリスに、そんな「自由」な生き方が許されるはずはない。...

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サイモン&ガーファンクル〜世界の頂点、更なる冒険

1968年、サイモン&ガーファンクルは“世界の頂点”にいた。 その年に彼らは映画『卒業』のサントラとアルバム『Bookends』の2枚を全米ナンバーワンにしていた。当時の彼らはフォーク音楽の領域を超えて、「ビートルズを追いかけて、創造的で素晴らしいレコードを作ろうとしていた」が、ポール・サイモンはこう振り返っている。...

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加藤和彦との結婚、そしてサディスティック・ミカ・バンドの誕生

京都の平安女学院に通っていた福井光子(ミカ)が、加藤和彦と出会ったのは高校2年生、17歳の秋のことだ。 龍谷大学の学生だった加藤はザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだったので、京都の若者たちの間ではちょっとした人気者になっていた。...

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キース・リチャーズとミック・ジャガー〜ストーンズ最大の危機と孤高の響き

ミックとキースの確執で足踏みしたストーンズの80年代 「何年も続いていた状況がとうとう来るところまで来た。ミックが何もかも支配したいって欲求に取り憑かれたことだ。あいつにしてみりゃ、ミック・ジャガーと“その他大勢”だった。俺を含めたバンドの他のメンバーは、もうみんな雇われ人だ。長年一緒にやってきた俺たちにまでそうなったら、もうおしまいだ」...

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越路吹雪と岩谷時子〜宝塚時代から厚い友情を重ねつづけた二人の出会い

1939年の春、宝塚歌劇学校を卒業して初舞台を踏んだばかりの越路吹雪は、生涯の友となる岩谷時子と出会う。 「彼女が永眠するまで、ただ一度も争うことなく、時の流れと共に厚い友情を重ねてこれたのは宿縁としか考えようがない。」(岩谷時子)...

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越路吹雪のFirst Step〜宝塚歌劇学校での日々、エデイット・ピアフとの運命的な出会い

越路吹雪は、日本の元号が「昭和」になる前、大正13年(1924年)に生まれた。戦中から戦後は宝塚男役スターとして活躍し、1951年に宝塚を退団した後は“日本のシャンソンの女王”と呼ばれるまでとなった稀代の歌手である。 彼女にはいくつもの浮世離れした逸話が残っており、その“伝説”は今も語り継がれている。そんな日本を代表する歌姫が、どんなきっかけでシャンソンを歌い始めたのか? 越路吹雪の“First...

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越路吹雪27歳〜“宝塚のシミ”は、洗ってもこすっても簡単に消えるものではなかった

昭和12年(1937)。後に越路吹雪となる13歳の少女、河野美保子は宝塚歌劇学校に入った。日中戦争が起き、日本は大陸侵略戦争に突っ走っていた頃だった。そんな戦中から戦後、彼女は宝塚の男役スターとして活躍した。...

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