ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)〜バスローブ姿で店番した心の闇
1969年のある夜、テッド・ノーランという雑誌記者がウェストハリウッドの通りに健康食品店を見つけた。暗い店内には客はおらず、バスローブをはおった奇異な姿の長髪の店員がいるだけ。 驚いたことに、その店員は誰あろうブライアン・ウィルソンだった。 ほんの3年前に、ポップ音楽史上最高のレコードと称賛された「Good Vibrations」を制作した男がこんなところで何をしているのか?...
View Articleレイ・デイヴィス〜古き良き時代への渇望
キンクスといえば、1960年代のブリティッシュ・ロックを代表するバンドのひとつ。 1970年にも「Lola」が英米両国で大ヒットし、アルバム『Lola Versus Powerman and the Moneygoround, Part One』は評価、売り上げともに好調だった。 1971年にキンクスはRCAとアルバム5枚の契約を交わす。契約金は100万ドルとも言われた。...
View Articleクリス・クリストファーソン〜デビューするために“空から売り込み”をした男
クリス・クリストファーソンとジョニー・キャッシュ ある日、自宅で昼寝をしていると、ジューンが叫んだ。『ヘリコプターが庭におりてくるわ!』 外に出ると、クリスがヘリコプターから出て来て僕に言ったんだ。『どうしてもこの曲を渡したかった』って。...
View Articleジャニス・ジョプリンがクリス・クリストファーソンから受け継いだ「自由」の歌
クリス・クリストファーソンは父が空軍の元将軍で、自分もオックスフォード大学を卒業後、西ドイツで空軍のパイロットとして従軍した。 そして退役後には就職したのだが、すぐに仕事を辞めることを決意する。念願だった音楽の道に進んで、ソングライターをめざすためである。 しかし、29歳で幼い子供を持つ父親のクリスに、そんな「自由」な生き方が許されるはずはない。...
View Article早く前を歩いていたのに遅咲きになり、そこから成功したシンディ・ローパー
シンディ・ローパーは1953年6月22日、ニューヨークのブルックリンに生まれた都会っ子だった。 だが5歳の時に両親が離婚したことで、母親や姉、弟たちと郊外のクィーンズに移り住んだ。 そこからは環境の変化になじめなくなり、いつもどこか場違いな感じでちょっと調子が外れて、まわりから浮いていたので変な視線を浴びてきた。 そうした子供時代から思春期を経て、家を出て自立したのは17歳の時である。...
View Article美空ひばりが芸の道に生きると、あらためて決意した27歳の夏
美空ひばりはまだ小学生だった9歳のときから豆歌手として舞台に立って歌い、10歳で早くも映画『のど自慢狂時代』に初出演している。 コロムビアから「河童ブギウギ」を歌ってレコードデビューしたのは1949年、11歳の時で、続く「悲しき口笛」が大ヒットして少女スターの座についた。...
View Article沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲
日本を代表する歌手、沢田研二。 彼はザ・タイガースでデビューした19歳から現在に至るまでの50年以上、毎年欠かすことなくレコーディングし、作品を発表し、ツアーを行ってきた。 この実績は、日本はおろか海外でも類を見ない偉業といえるだろう。 還暦を過ぎて“言いたいこと”を歌うスタイルをより濃く打ち出しながら現在もコンサートを中心とした活動を続けている。...
View Articleジム・モリソン27歳〜“終わりの歌”が放つ永遠の閃光
何もかもが、これで終わる これで終わりだ、美しき人よ これで終わり…ただ一人の友よ、終わりなんだ 自由は君を傷つける 君は決して僕にはついて来ない その微笑みも、心優しい嘘も…これで終わる 僕らが死のうとした夜も…これで終わる 何もかもが、これで終わる 1966年、23歳のジム・モリソンが書いた別れの詩だ。 この翌年、ザ・ドアーズが発表したデビュー・アルバム『The Doors』のラストに「The...
View Articleローリング・ストーンズを作った男、ブライアン・ジョーンズの死を悼んだ追憶のハイドパーク
ロンドン中心部に位置するハイド・パークに1969年7月5日、全英中から25万人以上もの若者が集まってきた。 その日はローリング・ストーンズにとって丸2年ぶりとなるコンサートが、フリー・ライブのかたちで予定されていた。 ギタリストであり創設者でもあったブライアン・ジョーンズが脱退し、新たなギタリストにミック・テイラーが加入することになったのでお披露目をかねていた。...
View Articleリンゴ・スターが27歳のときに出会って救われたマハリシの「超越瞑想」
ビートルズの初期を振りかえって、リンゴ・スターはこんなふうに語っている。 バンドを始めた頃は、いい音楽を作ることだけが目的だった。僕がビートルズに入りたかった理由もそのためだ。彼らはあのあたりで最高のバンドだったからね。だが、ツアーに出てヒット曲を演奏しながら、新たな歌を生産しなきゃならなくなると、そんなことも言ってられなくなる。あれは、僕の人生で最高であると同時に最悪の時期だったと思うよ。...
View Articleシド・バレットとロジャー・ウォーターズ〜“月の裏側の住人”となった男に囚われて
シドを失い、ロジャーが牽引したピンク・フロイドの狂気 2005年7月2日、午後10時57分。ロンドンのハイド・パークに集まった20万人近い観衆を、聞き覚えのある不気味なサウンドが覆い始めた。一定に保たれた心臓の脈拍音が次第に大きくなっていく。そしてあの馴染みのある声が聞こえてきた。 もうずっと何年も、俺は気が狂いっぱなしなんだ……...
View Article蓄音機を発明したエジソンにまでたどり着いた細野晴臣の音楽を探る旅
幼い頃から、晴臣少年は家にある重いSPレコードを選んで、自分で大きな蓄音機を回して聴くのが大好きだった。 蓄音機は母方の祖父にあたる中谷孝男のものだったが、晴臣少年が生まれる前から家に置いてあった。レコードをかけて音楽が流れてくると、身体が自然に動き出したので、毎日2時間でも3時間でもレコードを聴いていた。...
View Article細野晴臣の言葉で「読書と音楽が交差した」という松本隆が選んだ作詞家の道
松本隆がプロのミュージシャンとして音楽活動を始めたのは1969年の2月、細野晴臣に誘われてグループサウンズの「ザ・フローラル」にドラマーとして加入した時からである。 アマチュア・バンド「バーンズ」のドラマーだった松本はベースがやめた際に、立教大学にベースのうまい人がいると聞いてメンバー補充のために、直に電話をかけて細野に面会を申し込んだ。...
View Articleウィルコ・ジョンソンとフェンダーテレキャスター〜喉から手が出るほど欲しかった憧れのギターを手に入れるまで
「そのテレキャスターはサウスエンドの楽器屋のショーウィンドウに陳列されていたが、とても手が出ないほどの高価だった。一般的な労働者階級の平均賃金が1週につき15〜20ポンドだった時代に、そのテレキャスターは107ポンドの値札をつけていた。俺は生まれて初めてこれほどまでに欲しいという対象に出会ってしまった。」 ウィルコ・ジョンソンの“相棒”と言えば、フェンダーテレキャスターである。...
View Articleジミー・ペイジのFirst Step〜13歳で夢中になったロカビリー、14歳の時に父親からプレゼントしてもらったファーストギター
ジミー・ペイジといえば…1970年代に“最も成功したロックバンド”レッド・ツェッペリンの中核を担ったギタリスト兼リーダーである。 若い頃からアートスクールとの二足の草鞋でセッションギタリストとして活躍し、ジョー・コッカーのバックバンド、ニコのプロデュース、ザ・フーのレコーディングへの参加、ヤードバーズへの加入を経て、1968年にレッド・ツェッペリンを結成する。...
View Articleジミ・ヘンドリックスのFirst Step〜たった5ドルの中古エレキギター、陸軍時代に出会った相棒ビリー・コックス
ジミがエレキギターと出会ったのは12歳だった。 友達の影響でB.B.キングやエルモア・ジェイムスといったブルースを耳にするようになり、当時アメリカ中の若者を熱狂させていたエルヴィス・プレスリーに夢中になっていた時期だった。 ギターを持っていた友人の家に集まり、みんながカードゲームで盛り上がっている時間に、ジミはそっとギターを玄関ポーチに持ち出していじくっていたという。...
View Articleマイケル・ジャクソンからジョニー・キャッシュまで、クロアチア少年の心を捉えた歌
2011年の1月、動画サイトに投稿された1本の動画から、国境も世代も超えるネット時代における音楽の新しい物語が始まった。 イギリスの大学でクラシックを学んだ二人の若いチェリスト、ルカ・スーリッチとステファン・ハウザーが、マイケル・ジャクソンのヒット曲「スムーズ・クリミナル」をカバーした動画は、選曲やアレンジの意外性とテクニックなどが評判を呼び、半年で500万回もの再生回数を記録したのだ。...
View Article7ヶ国軍に宣戦布告したジャック・ホワイトの27歳
ジャック・ホワイトはうんざりしていた。 彼がホワイト・ストライプスを結成したのは1997年のことだ。ジャックのギターとメグ・ホワイトのドラムのみで、ベースがいないこの変則的なユニットは、ブルースへの原点回帰ともいえる生々しさと、荒々しいギター・サウンドで人気を集めていった。...
View Articleノエル・ギャラガーの27歳~『オアシス』大ヒット直後の脱退騒動
1994年の9月下旬、オアシスは母国イギリスを離れ、初の全米ツアーでアメリカ中を回っていた。 デビュー・アルバム『オアシス』(原題: Definitely...
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