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Channel: TAP the STORY – TAP the POP
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ミック・ジャガー27歳〜悪魔的なカリスマ性、そして最初の妻ビアンカとの出会い

ローリング・ストーンズにとって60年代は、ブライアン・ジョーンズの死とオルタモントの悲劇という“衝撃的な出来事”と共に幕を閉じた。 そして1970年の夏、ミック・ジャガーは27歳を迎えた。 その頃、ミックは恋人マリアンヌ・フェイスフルがイタリア男の腕の中へと去ってしまった心の穴を埋めるかのように、毎晩違う女性を連れ込んで寝るようになっていた。...

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キース・エマーソン27歳〜ELPの成功、高額な収入と裏腹に増してゆく自分への違和感

1970年、当時26歳だったキース・エマーソンは、元キング・クリムゾンのグレッグ・レイク、アトミック・ルースターのカール・パーマーとエマーソン・レイク・アンド・パーマー (ELP) を結成する。 同年の11月、著名なバンドで名を知られたメンバーが集結したELPのデビューアルバム『Emerson, Lake & Palmer』が、リリース直後に全英チャート4位、全米チャート18位を獲得する。...

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ウィルコ・ジョンソンとフェンダーテレキャスター〜喉から手が出るほど欲しかった憧れのギターを手に入れるまで

「そのテレキャスターはサウスエンドの楽器屋のショーウィンドウに陳列されていたが、とても手が出ないほどの高価だった。一般的な労働者階級の平均賃金が1週につき15〜20ポンドだった時代に、そのテレキャスターは107ポンドの値札をつけていた。俺は生まれて初めてこれほどまでに欲しいという対象に出会ってしまった。」 ウィルコ・ジョンソンの“相棒”と言えば、フェンダーテレキャスターである。...

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かつての栄光の歌手という道が始まった~坂本九の27歳

エルヴィス・プレスリーに憧れてロックンロールに目覚めた坂本九が、バンドボーイを振り出しに米軍キャンプやジャズ喫茶でのライブで経験を積み、「日劇ウェスタンカーニバル」の舞台に立ったのは1958年の夏のことだ。 そのとき18歳、歌ったのはリトル・リチャードのカヴァー曲だった「センド・ミー・サム・ラヴィン」。...

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キース・リチャーズとグラム・パーソンズ〜涙の川を渡った男たちの心の風景

発掘中だった音楽の鉱脈を掘り当てた。グラムとの出逢いが自分の弾くもの、書くものの領域を広げてくれたんだ。そこから束の間の友情が始まった。長い間行方知らずだった弟と再会したような感じだった。今でも寂しくてたまらない。...

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ジャニス・ジョプリンがクリス・クリストファーソンから受け継いだ「自由」の歌

クリス・クリストファーソンは父が空軍の元将軍で、自分もオックスフォード大学を卒業後、西ドイツで空軍のパイロットとして従軍した。 そして退役後には就職したのだが、すぐに仕事を辞めることを決意する。 念願だった音楽の道に進んで、ソングライターをめざすためである。 しかし29歳で幼い子供を持つ父親のクリスに、そんな「自由」な生き方が許されるはずはない。...

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オノ・ヨーコ27歳〜日本を代表する財閥の“お嬢様”だった彼女が経験した貧しい結婚生活、前衛芸術家としてキャリアをスタートさせた頃

「夫を追って日本に帰るべきか、ここにとどまるべきか…27歳の私は葛藤と同時にニューヨークでの成功が間近に迫っているかもしれないという予感も感じていました。」 彼女は小野英輔・磯子の長女として、東京で生まれた。 父親は日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の子であり、ピアニストから銀行員に転じ、彼女が生まれた時は横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に勤務していた。...

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エリック・クラプトン〜愛の告白の失敗と悲劇に取り憑かれた数年間

「人生が深刻な下降線をたどっていった時期の始まりだった」 ──エリック・クラプトンは自らの1970年の後半をそう語った。...

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キース・リチャーズとミック・ジャガー〜ストーンズ最大の危機と孤高の響き

「何年も続いていた状況がとうとう来るところまで来た。ミックが何もかも支配したいって欲求に取り憑かれたことだ。あいつにしてみりゃ、ミック・ジャガーと“その他大勢”だった。俺を含めたバンドの他のメンバーは、もうみんな雇われ人だ。長年一緒にやってきた俺たちにまでそうなったら、もうおしまいだ」...

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ロイ・オービソン〜泣いた男たちの果樹園

「どっちにしても君は歌が下手だし、弱々しい声だから、聴衆がよく聞こえるようにマイクに近づいて歌うことだな」 デビューのきっかけとなったサンレコードを辞めて他のレコード会社に移籍する際、ロイ・オービソンはレーベルの社長であるサム・フィリップスからきつく当たられた。おとなしく控えめな男だったオービソンは、ご丁寧にもその“助言”通りに歌って、皮肉にも本当の成功を掴む。...

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オーティス・レディング〜フェードアウトしていく口笛に残された「未来」

1967年12月10日、バーケイズのメンバーとともにツアー中だったオーティス・レディングは、次の公演地であるウィスコンシン州マディソンへと向かう途中、自家用飛行機の墜落事故により還らぬ人となった。享年26。同年6月に出演した〈モントレー・ポップ・フェスティヴァル〉でのパフォーマンスが高い評価を得て、人種の壁を越え、今まさにスターダムへとのし上がろうという矢先の悲劇だった。...

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サム・クック〜ゴスペル歌手からポップ歌手へ

1958年1月22日、27歳の誕生日を迎えた青年はゴスペル歌手サム・クック(Cook)ではなく、成功したポップ歌手サム・クック(Cooke)だった。 前年9月にキーン・レコードから発売されたポップへの転向第1弾「You Send Me」は、見事に全米第1位に輝くミリオン・セラーとなったのだ。ゴスペルの世界からの非難を覚悟しての世俗歌手への転身の賭けは見事に成功した。...

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身も心も疲れ果てて〜トム・ウェイツ27歳

♪Tom Traubert’s Blues (Four Sheets to the Wind in Copenhagen)/トム・ウェイツ 疲れ果てて傷ついてしまったんだ 月のせいじゃねぇ 身から出た錆ってことよ 明日会おうな  おい、フランク 2〜3ドル貸してくれねぇかな 放浪の旅に出よう、そう旅をするんだ お前は俺と一緒に旅に出るんだ...

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フィル・ライノット〜英雄になった褐色のアイルランド人ロッカー

いわゆるブリティッシュ・ハード・ロックの代表格とされながらも、アイルランド・スピリットを内に秘めた印象的な楽曲の数々で、1970年代にひときわ強い個性を放ったバンド──シン・リジィ。...

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ロン・ウッド27歳〜ストーンズから誘い、ソロアルバム『俺と仲間』の製作

それはロン・ウッドが27歳を迎えた1974年の出来事だった。 「あの時、ミックと俺は取り決めを交わしたんだ。“I Can Feel the Fire”は俺のものにしていい代わりに“It’s Only Rock’n’Roll (But I Like It)”はストーンズのものにするってね。当時、俺にはミックのように交渉する力などなっかたんだけど…今思うと、それでよかったと本当に思うよ。」...

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ピート・タウンゼンド〜真冬のコテージで綴り始めた『四重人格』

1973年初め。暗く冷たい、冬の週末の夜。 27歳のピート・タウンゼンドは自宅のコテージに一人座り、逆巻く川や隙間風の音を聞きながら記憶の旅に耽っていた。ここ数ヶ月もの間、家族や友人、バンドとステージにいる時でさえ、新しく生まれつつある“音楽と物語”のことが頭と心から離れない。しかし、今夜は違った。...

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クリッシー・ハインド27歳〜ハイスクール時代に描いた夢を10年後に叶えた彼女のロックな履歴書

クリッシー・ハインド。 ロック界の姉御的存在として常に第一線で活躍してきた彼女は27歳で大きな転機を迎え、翌年にプリテンダーズとしてデビューを果たした。 プリテンダーズはイギリスのロンドンで生まれたバンドにも関わらず、彼女自身はアメリカ北部オハイオ州アクロンの出身だ。 彼女は故郷で過ごしたハイスクール時代を振り返りながらこう語ってる。 私は高校生活をおもしろいと感じたことがなかったわ。...

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ウィルコ・ジョンソン27歳〜ロンドンのパブロックシーンを席巻したドクター・フィールグッド

70年代初頭からイギリスのパブロック・シーンを牽引し、後のパンク・ロック・ムーブメントの火付け役となったドクター・フィールグッドから始まり、ソリッド・センダーズ、ザ・ブロックヘッズ、そしてソロ名義での活動と、長いキャリアを通してロックシーンの大きな足跡を残してきたウィルコ・ジョンソン。...

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フリートウッド・マック〜二組のカップルの破局から生まれた歴史的ベストセラー『噂』

それは、新しいメンバー探しをしていたミック・フリートウッドに、プロデューサーのキース・オルセンが自分が手掛けた無名デュオのアルバム『Buckingham Nicks』を聞かせたことがすべての始まりだった。...

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美輪明宏 27歳〜日本初となった“奇跡のリサイタル”その成功までの道

1962年、当時27歳だった美輪明宏(当時・丸山明宏)は“日本初”となる全オリジナル楽曲による自主公演を計画し、その準備のために奔走していた。 そして翌年の11月8日、希代の作曲家・中村八大らの協力により“奇跡のリサイタル”を見事に成功させる。 美輪にとってこの時期こそが、日本の“元祖シンガーソングライター”と呼ばれるようになる、まさにターニングポイントだったといえる。...

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