「どっちにしても君は歌が下手だし、弱々しい声だから、聴衆がよく聞こえるようにマイクに近づいて歌うことだな」
デビューのきっかけとなったサンレコードを辞めて他のレコード会社に移籍する際、ロイ・オービソンはレーベルの社長であるサム・フィリップスからきつく当たられた。おとなしく控えめな男だったオービソンは、ご丁寧にもその“助言”通りに歌って、皮肉にも本当の成功を掴む。
人々の胸のうちにある傷ついた感情を、こんなにもドラマチックに儚い声で歌い上げたアーティストは当時他に誰もいなかった。
しかし、そんなオービソンを二つの悲劇が襲った。1966年、妻をオートバイの激突事故で亡くし、2年後には自宅の火事で二人の息子をも失ってしまう(三男だけが生き残った)。
「葬式でロイに近づくことができなかった。人生で初めて言うべき言葉が見つからなかった」
サン時代からのレーベルメイトで、互いの曲をカバーし合ったり、20年近くもメンフィスの地で隣人同士という関係にあった親友ジョニー・キャッシュは、その時も彼に寄り添っていた。
オービソンは両親の家で引きこもりとなり、音声を消したテレビをじっと見つめていた。キャッシュはどんなに彼を必要としているか、君を救うためにやって来たと伝えた。「自分の悲しみとどう向き合っていいのか分からない」とオービソンは呟いた。
1969年、キャッシュは自身の番組である『ジョニー・キャッシュ・ショー』のゲストに、オービソンを招く。オービソンはそこで、独り残されて悲しみに暮れる男「Crying」を歌った。
そう、君はもういない
これからもずっと 僕は泣くだろう
クライング クライング クライング
そう、泣いている 君を想って
後に立ち直ったオービソンは、焼失した家の跡地の隣に新しい家を建てた。キャッシュはその空き地を買い取って果樹園にして、その敷地を売却しないことを約束した。オービソンが再婚して新しい子供たちが生まれると、キャッシュは名付け親にもなった。
1988年12月、オービソンは疎遠になっていた三男ウエズリーを尋ねた。和解した二人は、一緒に演奏したり歌ったり曲を作ったりした。そして翌日、オービソンは心臓発作でこの世を去った。
その死から2年後のある日、キャッシュはウエズリーが果樹園をうろついていることに気づいた。尋ねると、そこにいると癒されるという。キャッシュはバスケット一杯のフルーツを彼に与え、「いつでも自由に収穫していいよ」と伝えた。そしてその敷地を、無償で譲り渡したのだった。
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ロイ・オービソン~“ビッグ・オー”と永遠の少年たち
*このコラムは2013年11月9日に初回公開されました。
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