ジョン・コルトレーン27歳〜何かを探しあぐねていた無名の下積み時代
モダンジャズ界サックスの巨人、ジョン・コルトレーン。 1950年代の終わりころから一気に花を咲かせて疾風のごとく通り過ぎていってしまった男である。 もう一人の巨人、マイルス・デイヴィスとは良く知られている通り同年齢だった。 彼とマイルスは29歳の頃から約5〜6年に渡って同じバンド(第一期マイルス・デイヴィス・クインテット)でプレイをしていた時期もあった。...
View Articleレスター・ヤング 27歳〜ビリー・ホリデイとの出会い、死が二人を分かつまで続いたプラトニックな関係〜
1937年、レスター・ヤングは27歳の時にビリー・ホリデイ(21歳)と出会う。 彼が当時在籍していた“カウント・ベイシー・オーケストラ”に、彼女もたびたび参加するようになっていたのだ。 彼は親しみを込めて、彼女に“レディー・デイ”という愛称をつけた。...
View Articleウィルコ・ジョンソンとフェンダーテレキャスター〜喉から手が出るほど欲しかった憧れのギターを手に入れるまで
「そのテレキャスターはサウスエンドの楽器屋のショーウィンドウに陳列されていたが、とても手が出ないほどの高価だった。一般的な労働者階級の平均賃金が1週につき15〜20ポンドだった時代に、そのテレキャスターは107ポンドの値札をつけていた。俺は生まれて初めてこれほどまでに欲しいという対象に出会ってしまった。」 ウィルコ・ジョンソンの“相棒”と言えば、フェンダーテレキャスターである。...
View Articleルイ・アームストロングとコルネット〜ジャズの巨人サッチモが初めて手にした楽器
サッチモの愛称で親しまれた20世紀を代表するジャズの巨人、ルイ・アームストロング。 彼の愛器といえば、フランス製セルマーのトランペットだった。 1932年(当時31歳)に彼が始めてヨーロッパへ演奏旅行に出かけた際に、サッチモの大ファンだった英国国王ジョージ5世がセルマーのトランペットをプレゼントしたと言われている。...
View Articleデヴィッド・ボウイとミック・ロンソン〜グラムロック創成期を築いた黄金コンビの出会い
デヴィッド・ボウイがグラムロックに傾倒した70年代、彼の横でGibsonレスポールをかき鳴らす金髪のギタリストがいた。 “ロノ”という愛称で呼ばれていたその男の名はミック・ロンソン。 彼はそれまで数々のバンドを渡り歩いた後、1967年にザ・ラッツというバンドに参加する。 そのバンドのメンバーの誘いで、ロノはデヴィッドと運命の出会いを果たす。 1969年、デヴィッドは2ndアルバム『Space...
View Articleかつての栄光の歌手という道が始まった~坂本九の27歳
エルヴィス・プレスリーに憧れてロックンロールに目覚めた坂本九が、バンドボーイを振り出しに米軍キャンプやジャズ喫茶でのライブで経験を積み、「日劇ウェスタンカーニバル」の舞台に立ったのは1958年の夏のことだ。 そのとき18歳、歌ったのはリトル・リチャードのカヴァー曲だった「センド・ミー・サム・ラヴィン」。...
View Article越路吹雪と岩谷時子〜宝塚時代から厚い友情を重ねつづけた二人の出会い
1939年の春、宝塚歌劇学校を卒業して初舞台を踏んだばかりの越路吹雪は岩谷時子と出会う。 「彼女が永眠するまで、ただ一度も争うことなく、時の流れと共に厚い友情を重ねてこれたのは宿縁としか考えようがない。」(岩谷時子) その年の秋、岩谷は宝塚歌劇団出版部へ就職し、社会人としてのスタートを切ったばかりだった。 宝塚ファンに向けて出版されている『歌劇』『宝塚クラブ』誌を編集するのが彼女の仕事だった。...
View Articleエルヴィス・コステロ──美しいバラッドの奥で燃える、静かなる怒り
ロンドンに生まれたエルヴィス・コステロだが、ルーツはアイルランドにあった。父親のロス・マクナマスはアイルランド移民で、ジョー・ロスの楽団でシンガー/トランぺッターとして活動していた。ちなみに芸名の“コステロ”は、父方の祖母の旧姓に由来しているという。父親の影響から小さい頃から音楽に囲まれた環境にあったが、中でもアイリッシュ・ミュージックは彼の音楽性のみならず、人間性を育む上でも大きな影響を与えた。...
View Article西岡恭蔵の27歳~細野晴臣と吉野金次、そして矢沢永吉との出会いで見えてきたダンディズム
大阪のミナミの繁華街から少し外れた難波元町で、「喫茶ディラン」が営業を始めたのは1969年8月15日、その日は終戦記念日であった。 わずか4坪半のスペースにカウンターと椅子とテーブルを並べた店は、15人も入ればもういっぱいだったという。 店名のディランはもちろん、ボブ・ディランからとられたものだ。 初代店長になったのは19歳のフォークシンガー、大阪府茨木市に生まれた大塚まさじである。...
View Article井上陽水27歳〜日本の音楽史上かつてなかった“画期的”なレコード会社、フォーライフの誕生経緯〜
楽しいことなら何でもやりたい 笑える場所なら何処でも行く 悲しい人とは会いたくもない 涙の言葉で濡れたくはない 青空、あの日の青空、ひとりきり 何かを大切にしていたいけど 身体でもないし心でもない きらめくような想い出でもない ましてや我身の明日でもない 浮雲、ぽっかり浮雲、ひとりきり...
View Articleニコとアンディ・ウォーホル〜わずか2年の間にニコが経験したサクセスストーリー
1965年3月のある夜、ニコはローリング・ストーンズと出会う。 ストーンズの初代マネージャーとして知られるアンドリュー・ルーグ・ オールダムが「スター候補の女の子を探している」という話の流れから、彼女が紹介されることとなる。 彼女は当時、モデルや女優以外の新しいキャリアを必要としていた。 歌手という肩書きをいかにして手に入れるか?...
View Articleマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ〜初挑戦となった映画の稽古場での出会い、本当の意味でのソロキャリアのスタート
1977年、当時19歳だったマイケル・ジャクソンに大きな転機が訪れる。 ミュージカル映画『The Wiz(ウィズ)』への出演が決ったのだ。 俳優として初仕事となったこの映画出演は、その後の映像作品、ダンスパフォーマンスにおいて重要な意味を持つこととなる。 当時ジャクソン5(ジャクソンズ)として活動していた彼にとって、それは特別な意味を持つ挑戦だった。...
View Articleボブ・ディランとジョーン・バエズ〜グリニッジ・ヴィレッジで出会った二人の恋物語
1950年代末から1960年代初頭、ボブ・ディランは社会の激動と共に転機を迎える。 生まれ育ったミネソタからニューヨークへと身を移し、当時プロテストソングの先駆者として活躍していたアーティスト達から新たな刺激を受ける。 ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジャック・エリオット、オデッタ、デイヴ・ヴァン・ロンクなどなど、ディランは彼らの歌や生き方から多くのものを学ぶ。...
View Articleキース・リチャーズとグラム・パーソンズ〜涙の川を渡った男たちの心の風景
発掘中だった音楽の鉱脈を掘り当てた。グラムとの出逢いが自分の弾くもの、書くものの領域を広げてくれたんだ。そこから束の間の友情が始まった。長い間行方知らずだった弟と再会したような感じだった。今でも寂しくてたまらない。...
View ArticlePANTA27歳〜頭脳警察の解散後のソロワーク、そして新バンドPANTA&HALの始動
1975年12月31日、PANTAは頭脳警察を解散させた。 解散の約4ヵ月後には1tsソロアルバム『PANTAX’S WORLD』(1976年4月5日)をリリース。 それはPANTAが所属していたビクターの新レーベル“フライング・ドッグ”からの第1弾として大きな注目を集めていた。 PANTAが26...
View Articleマイケル・スタイプ(R.E.M.)〜カレッジ・バンドからの脱皮
1987年、R.E.M.のアルバム『Document』は初の全米トップ10入りを果たし、「The One I Love」も全米第9位のヒットとなる。 R.E.M.は1981年のデビュー以来、カレッジ・ラジオを結ぶネットワークの成長に助けられて「カレッジ・ロック」とも呼ばれた新世代バンドの代表的存在として、大学生を中心に熱烈な信奉者を増やしてきた。...
View Articleヴィンス・ニール27歳〜ロックスターを体現した暮らしぶり、モトリークルーのメンバーが酒とドラッグを断とうとした時期
1987年5月、モトリー・クルーは4thアルバム『Girls,Girls,Girls』を発表し、全米チャートで最高2位を記録した。 同作を引っさげたツアーのサポートは6月からホワイトスネイク、11月からはガンズ・アンド・ローゼズが務めた。 当時26歳だったヴィンス・ニールは、酒、ドラッグ、喧嘩などトラブルを繰り返す“問題児”としてロックシーンにその悪名を轟かせていた。...
View Articleサミー・デイヴィス・ジュニアとフランク・シナトラ〜スター歌手が見出した黒人青年の類まれな才能
ボードビルショー巡業を生業とする一家のもとで育ったサミー・デイヴィス・ジュニアは、幼少の頃から歌やダンスのレッスンを受け、3歳のときにはすでに舞台に立っていたという。 彼と彼の父親、そしてウィル・マスティンのトリオは、どの街に行っても客ウケがよく、舞台仲間たちとの絆も深かった。 しかし、当時アメリカに蔓延っていた人種差別により、黒人の歌手や芸人が一流劇場に出演することは叶わぬ夢だった。...
View Articleニーナ・シモン27歳〜一夜にして彼女をスター歌手にした伝説のコンサート、その後一変した生活
1959年9月12日、当時26歳だった彼女はニューヨークのTown Hallで初のホールコンサートを成功させる。 それまでクラブでの活動が中心だった彼女にとって、このステージは大きな転機となった。...
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