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チャック・ベリーのFirst Step〜運命を変えた一曲、24歳でようやく手に入れたエレキギター

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チャック・ベリー。
ロックが好きならば、彼の名を知らない人はいないだろう。
ボ・ディドリーやリトル・リチャードと並び“ロックンロールの創始者の一人”として知られている人物だ。
ビートルズのジョン・レノンが「ロックンロールに別名を与えるとすれば“チャック・ベリー”だ」と発言しているほど、後進のロックアーティストたちに多大な影響を与えてきた彼。
そんなロックンロール史上最大のレジェンドが、どんなきっかけで音楽と出会い、ギターを弾き始めたのか?
彼の“First Step(はじめの一歩)”とも言える時代のエピソードをご紹介します。


1941年、15歳になった彼は戦争が始まった瞬間をリアルに体験することとなる。
日本帝国が真珠湾を爆撃し、アメリカは交戦状態に突入してゆく…
18歳以上の若者たちは次々と戦場へ向かうこととなるが、彼が徴兵されるには3つ歳が足りなかった。
ある日、姉のルーシーが買っきた白人トロンボーン/トランペット奏者トミー・ドーシーのレコード「Boogie Woogie」を聴いた瞬間、彼は一気に魅せられたという。

「あの一曲が俺に音楽の道を選ばせたんだ!」



時を同じくして、彼はギターを弾き始めたという。
仲良しの同級生の父親が使わずにしまっていた四弦のテナーギターを借りたのが最初だった。
初めて触れるその楽器に魅せられた彼は、できるだけたくさんの曲を演奏できるようになるために、一日何時間もギターを弾きながら歌う練習を繰り返した。
戦争状態が続く中、彼はギターのコード本をめくりながら、ラジオから流れるブルースやジャズなどをコード進行に合わせてほぼ弾けるようになっていった。

「近所に住んでいた散髪屋の息子のアイラが、必要なテクニックを教えてくれたんだ。アイラのソロに合わせて俺はコードを弾くんだ。当時の練習曲を憶えているよ。“I Got Rhythm”“Sentimental Journey”“At Last”といった有名な曲を次々に覚えていった。17歳になる頃には、弾きながら歌えるレパートリーが90曲になっていたよ。」





この頃から彼は、機会があるごとに人前に歌い始めたという。
デートにもギターを持っていき、付き合っていた女の子に歌ってやることもあった。
そんな高校生活をおくる中、彼はしだいに不良仲間に影響され様々な悪事に手を染めて警察のお世話になったことも数多くあった。
1947年、21歳になった彼は(3年間の少年院暮らしを経て)トディという女性と結婚し、ゼネラルモーターズの工場で働きながら音楽活動をスタートさせる。
結婚生活を送りながら、彼は地元セントルイスにある白人バーのオーディションに受かり、一晩4ドルのギャラで稼ぐようになる。



「俺はそれまで弾いていた四弦のテナーギターよりも、もっと色んなアプローチができる六弦のギターを探し始めたんだ。エレキギターを手に入れて、もっと客を喜ばせることをしたかった。だけど、金がなかったからすぐには買えなかったんだ。」




1950年の1月、彼は妻のトディから「跡取りができた」と報告される。
当時彼には、まだ父親となる実感がなかった。
その年の10月3日、トディは長女(ダーリン・イングリット・ベリー)を出産する。



「イングリットに手がかかる間、俺はもう一つの仕事としてWEWラジオ局の雑用係を務めた。セントルイスでは有名なギタリストのジョー・シャーマンが生演奏する番組を担当した時に、彼が使っていた古いエレキギターを売ってもらえる話がまとまったんだ。30ドル、それも週5ドルの6回払いでね。エレキのほうがフレットが押さえやすいし、アンプにつなげば遠くまで聴こえる。初めて見栄えのいい本格的な楽器を手にした俺は、演奏できるならどんな場所にでも出かけていったよ。」




念願のエレキギターと共に、彼は中古のテープレコーダーを手にいれる。
自分の演奏を録音し、彼は毎日練習に励むこととなる。
音楽理論の基礎、和音(ハーモニー)や音符・音階、楽譜を説明する本も理解できるようになってゆく。
そんな中、彼の家庭に次女(メロディ・エクセス)が産まれる。
家族を養うために、自動車工場で働き、美容師になろうと専門学校に通ってみたり、写真家になろうとこころみてみたり…徐々に父親としての自覚を覚え始める一方で、昼の仕事と夜の音楽の仕事が半々になっていったという。
そして…彼は大きな転機を迎えることとなる。


「あれは1952年の年の瀬だった。ジョニー・ジョンソンというピアニストから電話があったんだ。大晦日の晩にトリオバンドでギターとヴォーカルをやらないか?ってね。セントルイスにあるコスモポリタンというクラブでの本格的な演奏だ。もちろん引き受けたさ!」



彼にとって、そのステージがプロのミュージシャンとしての第一歩となった。
年が明けてまもなく、コスモポリタンのオーナーからレギュラー出演の依頼を受ける。
ピアニストのジョニー・ジョンソンがリーダー、ドラマーはエビー・ハディ、ベーシストは週末毎に変わったという。



「俺達は客層に合わせて曲目を組めるようになり、週末は大入り満員にしたよ。その頃セントルイス周辺で演奏されているのは、主にヒルビリーとかカントリー&ウェスタンだった。黒人客の多い店だったから、最初は“変な黒人ヒルビリーバンド”として笑われていたけど、すぐに評判になったんだ。客の黒人達が夢中になって裸足でヒルビリーで踊る光景は圧巻だったよ。俺達はいつのまにかセントルイスで人気者になっていたんだ。」




ジョニー・ジョンソンの理解もあり、彼は徐々に人の曲に新しい歌詞をつけたり、即興の歌詞を歌うようになる。
ギターのアドリブの腕も上達し、ジョニーのピアノとの絡みも客に大ウケしたという。



「その頃はクラブでの演奏と掛け持ちしながら、親父の大工の仕事をしていたんだ。そのおかげで貯金もたまったので、55年型フォード・エスクァイアのステーションワゴンを買ったよ。俺にとっては初めての新車だった。家の二階部屋を増築することも決まり、専業主婦になっていたトディは大喜びだったよ。新品のステレオセットも買い、夕方になると好きなラジオ番組を楽しんだ。すべてが順風満帆だった。」







<引用元・参考文献『チャックベリー自伝』チャックベリー(著)中江昌彦(訳)音楽之友社>

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