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Channel: TAP the STORY – TAP the POP
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ローリング・ストーンズを作った男、ブライアン・ジョーンズの死を悼んだ追憶のハイドパーク

ロンドン中心部に位置するハイド・パークに1969年7月5日、全英中から25万人以上もの若者が集まってきた。 その日はローリング・ストーンズにとって丸2年ぶりとなるコンサートが、フリー・ライブのかたちで予定されていた。 ギタリストであり創設者でもあったブライアン・ジョーンズが脱退し、新たなギタリストにミック・テイラーが加入することになったのでお披露目をかねていた。...

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シド・バレットとロジャー・ウォーターズ〜“月の裏側の住人”となった男に囚われて

シドを失い、ロジャーが牽引したピンク・フロイドの狂気 2005年7月2日、午後10時57分。ロンドンのハイド・パークに集まった20万人近い観衆を、聞き覚えのある不気味なサウンドが覆い始めた。一定に保たれた心臓の脈拍音が次第に大きくなっていく。そしてあの馴染みのある声が聞こえてきた。 もうずっと何年も、俺は気が狂いっぱなしなんだ……...

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PANTA27歳〜頭脳警察の解散後のソロワーク、そして新バンドPANTA&HALの始動

1975年12月31日、PANTAは頭脳警察を解散させた。 解散の約4ヵ月後には1tsソロアルバム『PANTAX’S WORLD』(1976年4月5日)をリリース。 それはPANTAが所属していたビクターの新レーベル“フライング・ドッグ”からの第1弾として大きな注目を集めていた。 PANTAが26...

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リンダ・ロンシュタットとイーグルス〜はじまりの場所、トルバドゥール

ウェストハリウッドにあるトルバドゥールは、70年代のカリフォルニア・サウンドの発祥地とも言える。その重要人物の大半が、このクラブに入り浸っていたからだ。 「トルバドゥールはカフェ・ソサエティみたいだった。あそこでみんなが会って、お互いの歌を聴いた。私の音楽上の付き合いはすべてあそこで生まれたし、自分が追求したかった音楽スタイルに共鳴してくれる人たちを見つけたのもあそこなの」...

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デイヴ・グロールがカートの死を乗り越えて辿り着いた場所

カート・コバーンが自宅で自殺したのは1994年の4月5日のことだった。 ニルヴァーナは活動を休止せざるを得なくなり、ドラムのデイヴ・グロールは計り知れない喪失感の中で何も手に付かず、ただ流されるままに日々を送るのだった。 それから1ヶ月が過ぎた5月のある日、レコーディングでドラムを叩いてくれないかと、デイヴは声をかけられた。...

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阿久悠の27歳~僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです

僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです。 ビートルズの出現で60年代半ばにエレキギターの楽器革命が起こりました。 それまで楽器はプロでなければ扱えなかったのが、エレキブームでギターが普及して誰でも扱えるようになった。 やがてGS(グループサウンズ)の一大旋風が起こると、彼らの曲作りに参加するかたちで、フリーランスの作詞家や作曲家が続々と参入してきました。 (『阿久悠...

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私たちは手をとりあって、よくわからない〈テレビ〉という暗闇の中を進んでいった黒柳徹子~

黒柳徹子には小学校のときから、なりたいものがいろいろあった。バレリーナ、幼稚園の保母さん、従軍看護婦、スパイ、競馬の騎手。 だが香蘭女学校を卒業後にはオペラ歌手になると、きちんと目標をさだめて東洋音楽大学声楽科へ入学した。 東京音楽学校でバイオリンとクラシック音楽を学んだ父の黒柳守綱は、昭和12年から5年間に渡って新交響楽団のコンサートマスターを務めたが、戦争のためにシベリア抑留を余儀なくされた。...

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マーク・ノップラー(ダイアー・ストレイツ)〜寂れたパブで見る夢

僕はいつだって、困難な状況の中で自分を表現する方法を見つけられる人に惹かれてきた 1977年前半、27歳のマーク・ノップラーは彼自身もその方法を見つけようともがいていた。もちろん彼にとっての表現は音楽だが、それをもっと多くの人々の耳に届けたかったのだ。...

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唄を忘れたかなりやだった27歳の西條八十は、忘れた唄を思ひだして詩人となった

地主の息子で石鹸製造業や販売でも財を成した父親が亡くなったとき、西條家の全財産を相続したのは早稲田中学に通う学生だった17歳の西條八十だった。 三男だったにもかかわらず家督相続人に任命されたのは、長男がまったく信用のおけない道楽息子であったからだ。...

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かつての栄光の歌手という道が始まった~坂本九の27歳

エルヴィス・プレスリーに憧れてロックンロールに目覚めた坂本九が、バンドボーイを振り出しに米軍キャンプやジャズ喫茶でのライブで経験を積み、「日劇ウェスタンカーニバル」の舞台に立ったのは1958年の夏のことだ。 そのとき18歳、歌ったのはリトル・リチャードのカヴァー曲だった「センド・ミー・サム・ラヴィン」。...

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レスポールとレス・ポール~ある偉大なギタリストの軌跡~

1952年に発売されたギブソン社にとって初となるソリッドボディ(中が空洞になっていない)のエレキギター、ギブソン・レスポール。 ジミー・ペイジやデュアン・オールマン、スラッシュ、ザック・ワイルドなど数多くのギタリストに愛用され、ストラトキャスターと並んでロック・シーンを彩ってきたロック界を代表するギターの一つだ。...

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ロバート・ジョンソン〜満たされない野望

1938年初め、ロバート・ジョンソンはニューヨークの摩天楼をその足元から見上げていた。深南部のミシシッピ州に生まれ育った、もうすぐ27歳の黒人の若者はその光景に圧倒されただろう。だが、心の中には大きな野望もあったはず。この街でも有名になってやるんだ、と。...

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27歳で引退を決めて日本を離れようと考えていた藤圭子〈前編〉~「ポリープを切ることで私の歌の命まで切ることになった」

1969年9月に「新宿の女」でデビューした藤圭子は、演歌で日本語のブルースとロックを体現していたシンガーだった。 ファースト・アルバム『新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて』は1970年3月に発売されると、まもなくオリコンのアルバムチャートで1位を記録した。...

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27歳で引退を決めて日本を離れようと考えていた藤圭子〈後編〉~ 「あたし、嘘つくのいやだったんだ」

1979年の10月、作家の沢木耕太郎は翌年から朝日新聞に連載するノンフィクションを執筆するため、伊豆の山奥の温泉宿に長期滞在していた。 そんなある日、執筆に疲れて部屋のテレビをつけると、「藤圭子引退!」のニュースが大きく取り上げられた。 それに強い衝撃を受けた沢木は即座に山を降りて、藤圭子に連絡を取ってインタビューをさせてもらう約束を取りつける。...

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エディット・ピアフ27歳〜ユダヤ人作曲家との戦火の恋、運命のメロディーPadam Padam

稀代のシャンソン歌手、エディット・ピアフ。 本名はエディット・ジョヴァンナ・ガシオン。 1915年12月19日、彼女はパリ20区の貧しい地区ベルヴィル街で生まれた。 父親は大道芸人で、母親はカフェや酒場などで歌う歌手だった。 幼少期は孤独で、親戚から親戚へと転々とし、祖母の経営する売春宿で育てられた時期もあったという。...

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ジョン・ライドン27歳〜レコード会社からのヒットソングの作曲依頼、メンバーの脱退、PiL日本公演の成功

1978年、セックス・ピストルズを脱退したジョン・ライドンは、レゲエの本場ジャマイカで3週間の休暇を過ごしたのち、レゲエ好きの友人ジャー・ウォブル(ベース)と、キース・レヴィン(元ザ・クラッシュのギタリスト)に声を掛けて新バンドパブリック・イメージ・リミテッド(Public Image Ltd)を結成した。 当時のドラマーのジム・ウォーカーはオーディションによって雇われた。...

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ジョニー・キャッシュ〜“本物”を伝え続けた奇跡のTVショー

奇跡の音楽番組『ジョニー・キャッシュ・ショー』 「俺はここ以外で、やらないよ」 ジョニー・キャッシュは自身の名前がつけられたTVショーの収録会場について話し合っている時、キー局のお偉方にそう言い放った。“ここ”とは、ナッシュビルのライマン公会堂。『グランド・オール・オプリー』の本拠地であり、“カントリー・ミュージックの聖地”と言ってもいい場所だった。...

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70歳を過ぎた男が痛みとともにその人生を振り返る時

俺は今日、自分を傷つけた まだ感覚があるか知るために 痛みに神経を集中すると その痛みだけがリアルだった 古傷の上を 釘で何度もえぐり すべてを消し去ろうとするのだが 俺はすべてを思い出してしまうのだ ビデオの映像は老いたジョニー・キャッシュを映し出す。 歌い続けることだけが生きる意味となった日々。 彼は病んでいる肺から搾り出すように、歌詞を声に乗せていく。 よく響いたバリトンの歌声は聞こえない。...

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ジョニー・キャッシュ〜エルヴィスに嫉妬?

ジョニー・キャッシュが新妻ヴィヴィアンを伴ってメンフィスに引っ越してきたのは1954年のこと。その街では既にエルヴィス・プレスリーが大評判になっていた。...

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ジミ・ヘンドリックスの27歳~苦悶の日々を超えて辿り着いた新たな時代

1969年11月27日に27歳の誕生日を迎えたジミ・ヘンドリックス。 この頃のジミの音楽活動は決して順風満帆といえるものではなかった。 6月にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを解散したのち、6人編成のバンド、ジプシー・サンズ&レインボウズを結成するも、目立った活動はウッドストック・フェスティバルへの出演だけで、すぐに解散した。...

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