デイヴ・グロールがカートの死を乗り越えて辿り着いた場所
カート・コバーンが自宅で自ら命を絶ったのは、1994年の4月5日のことだった。ニルヴァーナは活動を休止せざるを得なくなり、ドラムのデイヴ・グロールは計り知れない喪失感の中で何も手に付かず、ただ流されるままに日々を送るのだった。...
View Article加山雄三27歳〜トップスターとして多忙を極める若大将に名匠・黒澤明が放った一言
1960年5月1日、加山雄三は東宝と専属契約を結ぶ。二ヶ月前に慶應義塾大学法学部を卒業したばかりの新人は、その夏、三船敏郎主演の映画『男対男』でデビューを果たす。 23歳で芸能界入りした加山の当時の夢は、自分の船を持つことだったという。...
View Articleハービー・ハンコック27歳〜最愛の恋人ジジとの結婚にいたるまでの葛藤と決意
半世紀を超える活動歴を誇るジャズピアノの第一人者、ハービー・ハンコック。ジャズ界だけでなく、R&Bやヒップホップにまで多大な影響を与えた“革新者”と讃えられている彼は、どんな二十代を過ごしたのだろう?...
View Articleオザケン27歳、二人のジャズ・メンとの出会い
“オザケン”の愛称で親しまれる小沢健二。 1980年代後半、小山田圭吾と組んだフリッパーズ・ギターでは、渋谷系のムーヴメントの先駆けとなった。1991年に解散した後は、コーネリアスとしてアーティスティックな活動を始めた小山田圭吾とは対照的に、ソロ活動でポップ路線に道を進めた。...
View Article高田渡の27歳~アメリカでの初レコーディング、ソロから再びバンドへ~
1972年、大瀧詠一のレコーディングしているスタジオへ高田渡が遊びに来たことがあった。 2人がアメリカのルーツ・ミュージックについて話し合っていると、それを聞いていたベルウッドレコードのディレクターで、制作部長だった三浦光紀がこんな話を持ちかけた。 「そんなにアメリカのルーツ・ミュージックを知りたいんだったら、1回3人でアメリカに行こうか?」...
View Articleヒプノシス〜アルバムジャケットでROCKに革命を起こしたデザイン集団
伝説のデザイン集団、ヒプノシス(Hipgnosis) 僕たちはいつも自分たちに言い聞かせてきた。自分たちの作品は音楽そのものに匹敵するようなアートだって。音楽による聴覚的な経験と同じくらい、芸術的な価値のある視覚的な経験を創造することを常に考えてきたんだ。(ストーム・トーガソン)...
View Article早く前を歩いていたのに遅咲きになり、そこから成功したシンディ・ローパー
シンディ・ローパーは1953年6月22日、ニューヨークのブルックリンに生まれた都会っ子だった。だが5歳の時に両親が離婚したことで、母親や姉、弟たちと郊外のクィーンズに移り住んだ。 そこからは環境の変化になじめなくなり、いつもどこか場違いな感じでちょっと調子が外れて、まわりから浮いていたので変な視線を浴びてきた。そうした子供時代から思春期を経て、家を出て自立したのは17歳の時である。...
View Articleニーナ・シモン27歳〜一夜にして彼女をスター歌手にした伝説のコンサート、その後一変した生活
1959年9月12日、当時26歳だったニーナ・シモンは、ニューヨークのTown Hallで初のホールコンサートを成功させる。それまでクラブでの活動が中心だった彼女にとって、このステージは大きな転機となった。...
View Articleジョニー・サンダース27歳〜ニューヨークパンクのカリスマがロンドンで過ごした季節
セックス・ピストルズ、クラッシュ、ガンズ&ローゼス、そして日本では忌野清志郎、甲本ヒロトなど数多くのアーティストに多大な影響を与えた孤高のカリスマ、ジョニー・サンダース。 1970年代前半、ニューヨークのアンダーグラウンドシーンの中心的存在だった“ニューヨーク・ドールズ”のメンバーであり、自らが率いたバンド“ハートブレイカーズ”では、ロンドンのパンクシーンとも深く関わったアーティストである。...
View Article名曲「ウィズアウト・ユー」を書いた後、自死に追い込まれたバッドフィンガーの2人
ビートルズが作ったレコード会社のアップルから1968年にデビューを飾ったアイヴィーズは、ビートルズの弟分的存在として期待されていた。 ところが運が悪いことにアップルの社内で経営をめぐる諸問題が発生したために、デビュー・アルバムの『メイビー・トゥモロー』はイタリアや西ドイツ、日本でしか発売されず、肝心の本国イギリスおよび最大のマーケットであるアメリカでは見送られてしまった。...
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